数字は「行動」ではなく「構造」である
僕は子どもの頃、そろばんを習っていました。
結果的に、小学校5年生までのあいだに珠算3級、暗算2級まで取得しました。準2級で挫折して辞めてしまいましたが、これは資格を誇りたいという話ではありません。そろばんを通して身についた「数の見え方」が、その後の人生で、ものの考え方そのものに転用できた——そういう話をしたいのです。
そろばんの面白いところは、数が「形」として見えることです。
数字は紙の上の記号ではなく、珠の位置であり、動きであり、桁の構造でした。足すと珠が動く。引くと珠が戻る。繰り上がる。桁が変わる。整う。だから僕にとって計算は、答えを出す作業というより、頭の中で構造を動かす感覚に近いものでした。
暗算になると、そのそろばんが頭の中に移動します。頭の中で珠を動かしながら、数字を処理していく。そこから僕に残ったのは、数字はただ覚えるものではなく、構造として動かすものだ、という感覚です。
不思議なもので、暗算をしているとき、僕は数字を「計算」しているという感覚があまりありません。ただ、頭の中の珠が、あるべき位置へ動いていくのを眺めている。答えは、その動きが止まったところに、自然と現れる。数を覚えて操作するのではなく、構造に任せて動かす。この感覚が、のちのち、計算とはまったく関係のない場面で効いてくることになります。
ここで先に、言葉の整理をひとつだけさせてください。「数字は行動ではなく構造である」と言いましたが、このあと僕は「足す・引く・掛ける・割る」という操作——つまり行動——の話をしていきます。一見、矛盾するようですが、そうではありません。数字は構造であり、四則演算はその構造の上で珠を動かす操作です。動かない構造があり、その上を動く操作がある。この記事は、その二つの関係の話だと思って読んでいただけたら嬉しいです。
イメージできないから、苦手になる
多くの人が数字や算数を苦手になる理由は、数字そのものが難しいからではない、と僕は思っています。その数字を、頭の中で絵や場面に変換できないから苦しくなるのではないでしょうか。
たとえば「7+5」。そろばんの7は、上に珠が一つ、下に2つ。これに5を足すときは、上の珠を戻し、左の桁に珠を一つ繰り上げる——という一連の動きで「12」という形になります。数を「動き」として体に入れていたから、僕は計算でつまずくことがあまりなかったのだと思います。
やがて大人になり、「アナロジー思考」という考えるためのフレームワークに出会いました。きっかけは、前田裕二さんの『メモの魔力』です。
アナロジー思考とは、ある場所で成り立っている構造を、別の場所へ移し替えて考えることです。表面の見た目が似ているかどうかではなく、骨組みが似ているものを探す。たとえば「川の流れ」と「お金の流れ」は、見た目はまるで違いますが、“高いところから低いところへ向かう”“せき止めると溜まる”という骨組みはよく似ています。この骨組みだけを抜き出して、別のことに使う。それが転用です。
この本で提唱されているのが、
事実(ファクト)→ 抽象化 → 転用
という流れです。目の前の事実を、いったん抽象化して、別の文脈に転用する。これが、僕の考え方の大きな転機になりました。
仕事も、発信も、読書も、人間関係も。あらゆる経験を抽象化して転用していくうちに、僕はある日ふと気づきました。
足す。引く。掛ける。割る。
これは、数を計算するためだけの操作ではないのではないか。思考そのものを動かすための操作でもあるのではないか。
今回お話しするのは、そろばんから着想を得て、四則演算をアナロジーとして思考に転用した話です。数学が苦手な方でも、構造として理解できるように書いたつもりです。考えるときの、ほんの少しの手がかりになれば幸いです。
第1章:足し算 ── 足りないものと、穴を見つける

◆ 足し算とは(量をまとめるしくみ) 別々の量をひとつに合わせる操作。3+2は「3のかたまり」と「2のかたまり」を合わせて5。構造としては「集まりを合成するルール」です。
転用① 何も知らないから、成長のために足し算をする
まったく知識がない状態では、まず知識を増やすしかありません。足りないものを、足していく。インプットを重ねるほど、手持ちの量は増えていきます。トランプに例えるなら、「とにかく手札を増やす」イメージです。何が役に立つかわからないうちは、まず枚数を集める。これが最初の足し算です。
転用② アウトプットして、足りない穴を足し算で埋める
二つ目の足し算は、インプットとアウトプットの関係に近いものです。アウトプットすると、自分の知識の「穴」が見えます。穴が見えるから、そこに必要なインプットを足す。最初の足し算が「手札を増やす」だとすれば、こちらは「役を揃えるために、足りない特定の一枚を取りに行く」イメージです。同じ足し算でも、方向の有無がまるで違います。
足し算には「向き」がある
同じ「足す」でも、転用①と②では向きが違います。①は、向きのない蓄積。とにかく手札を増やす段階です。②は、穴という的に向かって足す、方向づけられた蓄積です。順番としては、①が先で、②が後になります。手札がゼロでは、そもそも穴がどこにあるかも見えないからです。ある程度集めて、一度アウトプットしてみて、はじめて「あ、ここが足りない」とわかる。だから足し算は、①で量を、②で向きを、という二段階で効いてきます。
足し算は、インプットとアウトプットのバランスが大事
知識を足すことは大切ですが、わかっていることばかりを集めすぎると、今度はその知識が固定観念になって、自分を縛りはじめます。集めること自体が目的になり、いつまでも穴を確かめないまま、手札だけが増えていく。だからこそ「今、自分に何が足りていないか」と問い続ける。足りないから補う、という往復のなかで、新しい視点が育っていきます。
▷ この章を一言でいうと:足し算は「集める」。ただ集めるか、穴を狙って集めるか。
第2章:引き算 ── 余分を削って、本質を残す

◆ 引き算とは(量を減らすしくみ) 持っている量から一部を取り除いて、残りを出す操作。8−3は「8から3を取ると、残りは5」。構造としては「足し算で増えた分を、逆向きに戻すルール」です。
転用③ 成長から成熟へ。足るを知るための引き算
引き算は、成長の次に来る「成熟」の操作だと思っています。
知識も、経験も、人脈も、選択肢も。増やすことが前進に感じられる時期は、確かにあります。けれど、あるところまで来ると、足すことより引くことが必要になります。手に入れたものを、行動を通していったん減らす。あえて「やらないこと」を増やす。それで初めて、持っているものが熟れていきます。
転用④ 尖らせるための引き算 ── わびさびという考え方
日本の伝統に「わびさび」という概念があります。なんでも足すのではなく、逆に引くことで洗練されていく、という美意識です。
わかりやすいのは、色かもしれません。色とりどりで華やかなのも綺麗ですが、一色、あるいは同系色で揃えると、物足りなさと引き換えに、ぐっと洗練されて見えます。これは知識でもマーケティングでも同じで、扱う範囲を絞る——つまり引く——ことで、専門性やわかりやすさが生まれます。引くことは、必ずしもマイナスではありません。
お店で考えるとさらにはっきりします。メニューが百種類ある店より、「これ一本」で勝負している店のほうが、何屋なのかが一瞬で伝わります。あれもこれもできますと並べるほど、結局なにが得意なのかがぼやけていく。引き算は、選ばれるための操作でもあるのです。
引き算が怖いのは、なぜか
引き算が難しいのは、それが「もったいない」と感じるからだと思います。時間をかけて足してきたものほど、引くのが惜しくなる。けれど、足したものすべてを抱えたままでは、輪郭はぼやけ続けます。引き算とは、これまでの足し算を否定することではありません。むしろ逆で、足してきたからこそ、何を残すべきかを選べるのです。引き算は、足し算のあとにしかできない、少し贅沢な操作だと言えるかもしれません。
引き算は「捨てること」ではない
ここで大事なのは、引き算は「捨てること」ではない、ということです。引き算とは、自分の輪郭をはっきりさせることです。
「足るを知る」という言葉があります。足し算が成長なら、引き算は成熟。引くことで、自分が何者なのかが、ようやく浮かび上がります。色を絞る。やらないことを決める。優先順位をつける。たくさんあるものの中から、本当に必要なものだけを残す。それが引き算です。
▷ この章を一言でいうと:引き算は「削る」のではなく、「輪郭を出す」。
第3章:掛け算 ── 組み合わせが、化学反応を起こす

◆ 掛け算とは(同じ量をまとめて増やすしくみ) 同じ量を何度も足すときのショートカット。4×3は4+4+4。構造としては「繰り返しの足し算を、ひとつの操作に圧縮したルール」です。
ここから先が、掛け算の面白いところです。数式の上では、掛け算は足し算の圧縮にすぎません。ところが、人や経験を「掛け合わせる」と、単なる足し算では説明できない変化が起きることがあります。この章では、その性質を二つの角度から見ていきます。
転用⑤ コラボレーションという相乗効果(1+1が2を超える)
自分の才能が3、相手の才能も3だとします。足し算なら3+3で6です。けれど、組み合わせ方によっては、6を超えるものが生まれることがあります。これがコラボレーション、いわゆる相乗効果です。
リストマーケティングで考えるとわかりやすいかもしれません。自分にリストがあり、相手にもリストがある。コラボレーションすれば、それぞれのリストが掛け合わさって、一人では届かなかった相手にまで届くようになります。掛け算が、足し算の延長を超える瞬間です。
掛け算は、他人とのコラボレーションだけではありません。自分の中にある経験同士を掛け合わせることもできます。読書、表計算、発信、ものづくり、そして四則演算。一見バラバラに見える引き出しでも、掛け合わせると、どこかで見たことのない、自分だけの考えが生まれることがあります。3+3が6を超えるのは、他人と組むときだけでなく、自分の中の引き出し同士を組み合わせるときにも起こるのです。
転用⑥ 0と1の話 ── まず、自分の土台をつくる
ただし、掛け算には忘れてはいけない注意があります。0に何を掛けても0、という事実です。
自分の中に何もない状態では、どれだけすごい相手や環境と組んでも、化学反応は起きにくい。相手の行動が100でも、自分が0なら、結果は0のままです。一方で、自分が小さくても「1」でありさえすれば、話は変わります。自分が1で、相手が100なら、結果は100に届くこともある。完璧である必要はありません。小さくても、まず自分の中に「1」をつくる。その1があるかないかで、掛け算が効くかどうかが決まります。
だから、掛け算の前にはたいてい引き算が必要です。誰と組むのか。何と組み合わせ、何を組み合わせないのか。そこを引き算で見極めてから掛ける。そうして初めて、掛け算は意味を持ちます。
▷ この章を一言でいうと:掛け算は「足し算の延長」ではない。土台(1)の上で、はじめて相乗効果が起きる。
第4章:割り算 ── 混沌を割り、余りの意味を見る

◆ 割り算とは(量を分けるしくみ) ある量を同じ大きさに分けて、その1つ分を求める操作。12÷3は「12を3つに分けると、1つは4」。構造としては「掛け算で増えた分を、逆向きに戻すルール」です。
ただ、割り算には他の三つと決定的に違う性質があります。それは、いつも割り切れるとは限らない、ということです。10÷3は「3余り1」。この「余り」こそが、割り算を思考の道具にしたときの主役になります。
転用⑦ 混沌を、構造に当てはめて割っていく
割り算は、混沌としたものを構造に当てはめて分けていく操作です。
たとえば、ある問題が起きたとします。原因らしきものが入り乱れて、何から手をつけていいかわからない。そこで「これとこれは同じ種類だ」「これは別だ」と、同じ大きさのまとまりに分けていきます。10個の事象を、3つの観点で割ってみる。きれいに分かれていく部分は、構造として理解できた部分です。混沌を、割り切れるところまで割っていく。これが割り算の前半です。
具体的に言えば、こういうことです。何かのトラブルが起きたとき、「全部がうまくいっていない」と感じても、落ち着いて割っていくと、実際に問題なのは一部分だけ、ということがよくあります。原因を、技術の問題・伝え方の問題・タイミングの問題、というように同じ大きさのまとまりに分けていく。割り切れたところは、もう手を打てます。やっかいなのは、どこにもうまく収まらず残った“割り切れないところ”のほうです。
転用⑧ 割り切れずに残った「余り」を、俯瞰して考える
そして、割り算の本当の面白さは、ここからです。
10÷3は、3余り1。きれいに割っても、必ず1が余ります。このとき「余った」で終わらせることもできます。けれど僕は、この余りにこそ問いが生まれると思っています。
なぜ、これだけ余ったのか。予備なのか。数え間違いか。それとも、当てはめた「3」という型そのものが、間違っていたのか。割り算の余りは、答えではありません。けれど、問いの入口になります。
仕事でも人生でも同じです。整理して、分類して、構造に当てはめても、なぜか割り切れずに残るものがあります。その余りの中に、違和感や、その人らしさや、本質が残っていることがあります。きれいに割り切れた部分は、いわば“想定どおり”の部分。想定を超えていたものこそ、余りとして残るのです。
割り算は、問題を“ほどく”操作
割り算は、四則演算の中で、いちばんアナロジー思考に近いと思っています。目の前の出来事を一つのかたまりとして見るのではなく、「これは何と何でできているか」と要素に分けてみる。すると、ひとかたまりに見えていた問題が、いくつかの小さな問題に分かれます。分かれた一つひとつは、たいてい単純です。やっかいなのは、それらが絡まって一つに見えていたことのほう。割り算は、その絡まりをほどいて、問題の本当の在り処に近づけてくれます。
「割り切れない」という答えの力
足し算なら3+2は必ず5。引き算も掛け算も、答えは一つに定まります。けれど割り算だけは、10÷3が「3余り1」になる。この、もやっとする感覚こそ、割り算が持つ独特の力だと思います。
混沌を、どんどん割っていく。割り切れたものと、割り切れなかったものに分かれる。その余りをどう見るか。割り算は、物事を均等に分けるだけでなく、最後に残った違和感や特徴を見つけ出す思考なのです。
▷ この章を一言でいうと:割り算の主役は「商」ではなく「余り」。割り切れなさが、問いになる。
第5章:正解がないから、構造を見る
ここまで、四つの演算を「思考の動き」として見てきました。最後に、なぜ僕がここまで「構造」で考えるのか、その理由をお話しさせてください。
一言で言えば、世の中に正解がないからです。
学校の計算問題には、答えがあります。けれど、仕事や人生の問題には、あらかじめ用意された正解がありません。だから僕は、正解を探すより先に、構造を見るようになりました。
正解はないのに、構造はある
面白いのは、正解がない世界にも、構造だけは確かに存在する、ということです。
そもそも数字でさえ、絶対的な何かではありません。僕たちが「ひとつ」を1と定義したから1なのであって、もし2と定義していれば、同じものが2でした。それでも1が1として通用するのは、みんなが同じように信じているからです。数学は、その共通の約束の上に成り立つ言語です。
その代表が、お金です。一万円札に一万円の価値があるのは、紙そのものではなく、「これは一万円だ」という約束を、みんなが信じているからです。仮想通貨でも、子どもがつくる肩たたき券でも、構造は同じ。価値という約束を、誰かが定義し、みんなが共有している。
僕がそろばんから抜き取ったのも、この「構造」でした。珠そのものでも、答えそのものでもなく、数が動く仕組みのほう。仕組みだけを抽象化して抜き取れば、それは計算の外側にも転用できます。四則演算もまったく同じで、足す・引く・掛ける・割るという操作を、計算の外へ持ち出すことができる。これが、この記事でずっとお話ししてきたことです。
仮説とは何か
では、正解のない世界で、構造をどう使うのか。僕は「仮説」を立てるために使います。
仮説とは、正解を当てることではありません。前に進むために、いったん方向を決めることです。
ゴルフで、いきなりホールインワンを狙っても、まず入りません。けれど「たぶん、こっちの方向だ」と考えて打つことはできます。打てば、ボールの位置が変わる。位置が変われば、次の景色が見える。違えば、次の方向を考える。その繰り返しで、少しずつゴールに近づいていきます。
四則演算は、この仮説づくりの道具になります。足し算で材料を集め、引き算で絞り込み、掛け算で組み合わせ、割り算で割り切れない余り=違和感を見つける。この四つの往復が、ひとつの仮説の形になります。
失敗は、終わりではない
失敗は、終わりではありません。「このやり方ではなかった」と、一つ学んだということです。学んだパターンが増えるほど、次の仮説の精度が上がっていきます。
構造で考えるとは、正解を当てにいくことではありません。仮説を立て続けるための、地図を持つことです。
四つの順番にも、意味がある
最後にもう一つ。足す・引く・掛ける・割るという順番にも、僕は意味があると思っています。まず足し算で材料を集める。次に引き算で、その中から本当に必要なものだけに絞る。絞ったうえで掛け算で組み合わせ、相乗効果を狙う。そして割り算で結果を分け、割り切れなかった余りから、次の問いを見つける。集める、絞る、組み合わせる、ほどく。この四拍子が一周すると、また新しい足し算が始まります。四則演算は、止まった知識ではなく、回り続けるサイクルなのだと思います。
▷ この章を一言でいうと:正解はなくても、構造はある。構造は、仮説という地図になる。
結論:四則演算は、正解のない世界で仮説を立てる道具
もちろん、この考え方が絶対的な正解だと言いたいわけではありません。人生をすべて数学的に計算しろ、という話でもありません。むしろ世の中には、割り切れないものの方が多い。感情も、人間関係も、仕事の判断も、計算問題のように一つの答えが出るわけではありません。
それでも、考え始めるための「とっかかり」は必要です。
ロジカルなものを、一度イメージに変える。そのイメージを、もう一度ロジカルに戻す。四則演算は、その往復を助ける道具だと思っています。人生を完全に解くための公式ではないけれど、考え始めるための入り口にはなる。
そろばんが、紙の上の数字をいったん珠の動きに変えてくれたように、四則演算は、扱いにくい問題を、いったん“足す・引く・掛ける・割る”という身体的なイメージに変えてくれます。イメージにすると、頭の中で動かせる。動かせると、仮説が立てやすくなる。そして、もう一度それを言葉やロジックに戻す。この往復こそが、僕にとっての「考える」ということなのだと思います。
読者への問い
最後に、四つの問いを置いておきます。
・今の自分に、足りないものは何か。(足し算)
・今の自分から、引いた方がいいものは何か。(引き算)
・何と掛け合わせれば、新しい反応が起きるのか。(掛け算)
・この混沌は、何で割れば見えやすくなるのか。そして、割ったあとに残る余りは何か。(割り算)
すべてを一度に考える必要はありません。どれか一つでいい。自分の中で使えそうな演算をひとつ選んで、仮説として試してみてください。 人生に数学的な考え方を持ち込んだことで、僕は少しだけ、生きやすくなりました
